正信が著した「わら一本の革命」は、世界に一石を投じました。
如何なる流儀にも支配されないその考え方は、多くの共感者を呼び、
世界各国から多くの来訪者がこの地を求めました。
当時、世界が大きな経済成長を果たした時代は、モノによるココロの
充足感をもたらした反面、モノではないココロの充足を追い求める人々の
軌跡でもありました。
その時、一筋の光明として、当園の存在があったのだと感じます。
当時の考え方を基に、今なお手塩にかけて栽培する農産物は、
自然との対話を尊重しながら、消費者との真摯な呼応を大切にしています。
時には不揃いで ゴツゴツした形も 私達らしさだと感じています。
そして決して、消費者を裏切らない、自然を冒涜しない、
愚直な私達です。
混沌とした社会のシステムに歪みが出ても、清らかな山や川の自然は
もとのままのなつかしい姿で存在し、一滴の雫は大河を作り、再び国を創ります。
当園では、正信から雅人・大樹と紡がれた「命のリレー」は大河の一滴ですが、
これからも変わらず、日々、清き明き心を宿した一滴でありたいと愛媛の田舎より願っています。
それが福岡正信自然農園です
1973年生まれ。
農家の後継ぎとして幼少期を過ごし、
思春期に環境問題や人生・自然哲学へ傾倒する。
そのヒントは、家業の自然農園・自然農法であると
理解し、農園を継ぐ事を決意する。
学生生活を経て父から「30歳までには戻ってこい」と
社会勉強の時間をもらうが、実践の中での学びを
大切にしたいと考え、
25歳に就農、園主として現在に至る。
- 福岡正信自然農園 園主
福岡正信自然農園の歩み
福岡家は、戦前まで小作を抱える庄屋(もしくは、名主)で、正信の父親である亀一の代では、村長を務めていました。
正信は、勉学を好み大学へ進んだのち、横浜の税関(主に検疫関係かと思われます)に勤務していましたが、
重い病気になり生死をさまよう事になります。
その時、その後の人生に大きな影響を与える「この世には何も無いじゃないか!」と「無の哲学」を悟りました。
またそれを証明するため帰郷し、田畑での実践を通じて「自然農法」の提唱をします。
物凄いスピードで近代的農業へ移行していく高度成長期に逆行するように、
「不耕起 無除草 無農薬」の自然農法の研究に邁進していく事になりました。しかしながら自然農法の研究に没頭していく程、
不安定な収量から農家としての経営は厳しさの一途を辿る事となります。
正信の息子・雅人の代となり、正信が自然農法の研究に傾倒していく傍ら、父が提唱する自然農法をベースに、
「どの様にすれば社会に対し安定的な生産、販売が出来るのか」を模索し、
一切の農薬・化学肥料を与えない農業で生業としての確立をはたします。
現在は園主・大樹のもと、安定した農業を支えつつ、これからの時代、
より多くの方々が「自然農法」に近づきそれを生業に出来るよう、自らの「自然農法」「無の哲学」を模索しています。