対談│大岡弘武×福岡大樹 自然のままに
  • 徒然日記

対談│大岡弘武×福岡大樹 自然のままに

ラ・グランド・コリーヌ・ジャポン 大岡弘武 × 3代目園主・福岡大樹 対談
「自然を自然のままに」 

 

自然農法や粘土団子を通じて世界に大きな一石を投じた福岡正信の孫大樹氏と、長年ワインを通じて自然と向き合いながらよりシンプルで本質を追い求める大岡氏。
立場は違いますが、互いに共鳴する二人の会話から「自然」「果実酒」「出会い」「雑談」など。

これからの世界を紐解くヒントも感じる対談をお楽しみください。

 

 

最近、「持続可能」という言葉を耳にすることがとても多いですが、福岡さんや大岡さんは、その言葉にどのような印象を持たれていますか?

 

福岡         昨今のSDGsを聞いた時は、正直かなり違和感を抱きます。2、30年前から「持続可能な農業」というキャッチフレーズ的な文言を使うことはありましたが、「持続可能な農業」「持続可能な生産」は、かなり勇気のいる言葉だと考えています。それを多くの人たちがさらっと言えるということは、ある意味、身近になったということなのか。 本当の意味の持続可能ということは、そう簡単なものではないと思っています。現在の世の中の取組みは、ほんの一部分に焦点を当てているだけで、もっと踏み込んだ「本質的な持続可能性とは何か?」というところをしっかり見つめて欲しいと感じます。

 

大岡         私もまったく同意見です。もちろんいい面としては、先ほど仰っていただいたようなものがあると思います。ただ現実は、「持続可能な」よりも「経済的な」ということがけっこう先であり、「何が持続可能なのか?」を問いたくなることがあります。よくみんなは、地球のためと言いますが、結局は人類のためであって、地球のためではなかったりします。もう少し突き詰めていけば、良いところを表面だけさらっているという感じがします。以前よりは良くなったと思いますが、「(本質的に)持続可能ではないのに(言うことで)満足してしまっている」ということが一番疑問に感じます。

 

福岡         結局、安易にそこをPRすることで、本当にそのことを考えようとする人たちの足かせになり、逆に今のやり方では弊害のほうが大きくなるような気がします。「持続可能」という言葉は勇気がいる表現だと思っているので、「持続可能な世界や社会を目指す」とキャッチコピーに使うことに対して、本当に覚悟があるのですか!? と、私は強く感じてしまいます。だから、私が福岡正信自然農園として、そこをしっかり模索していく使命があるのかなと思っています。また、そのように考えさせられる言葉だと受け止めています。

 

――      実際フランスでも日本のように「持続可能」という言葉の使い方に疑問を感じますか?

 

大岡         元々語源が海外のものですから、結局日本語訳も「持続可能」というように直訳しています。平たく言えば「続けていける」ということですが、農業や工業でも続けていけるということと、気候変動によっては変えていかなくてはならないということが混同しているので、とても分かりづらくなっているように感じます。

ブドウは私の専門分野ですが、品種はその時代に応じて変わってきています。「続けていける」ように気候変動に合わせるのか、それともサイクルの話なのか。沢山ある問題は、それぞれ表面だけを触って全てに持続可能と言っておけばおしまい、みたいな状況を生み出しているようにも感じます。

しかしその問題を掘り下げていくと、地球環境がこのままだとした場合、「持続可能」をみんなが自分自身でやっていこうとすると、一人で山に籠り仙人のような暮らしをするのではないでしょうか。しかし、それがはたして人間社会として成り立っていくのか。そんなところまでみんなで考え、互いにどこで線を引くのかを話合うべきだと思います。しかし、そうなると捨てないといけないものがたくさん出てくるので、実際にはそんなことはしないですよね。だから本質的なことに対しては一切触れず、「これはもう止めておきましょう」とか「こっちはやりましょう」とか、今の状況を「若干このように変更したからいいですよね?」ということでは、本当に「続けていける」ことになるのか疑問に感じます。この問題はみんな怖くて話せないのか、永遠に続いていくものと思っているから話合わないのか、その辺りはすこし謎ではありますね。もちろん、自分自身でもジレンマはあります。農業に関わっている人は、特に感じやすいのかもしれません。線引きって難しくないですか?

 

福岡         人それぞれ線引きの仕方が違うのでとても難しいですよね。それによって左右の色の違いが出ますよね。本当、この線は難しいところです。

 

大岡         私は福岡さんがなさっていることはすごいと思います。本当に尊敬いたします。

 

福岡         いえいえ。そこは、わりと開き直っているという感じです。今はこのようなスタイルでいますが、もちろん否定する人、肯定する人、一緒にやりたいという人、いろいろな考え方があるだろうなと思ってやっているだけです。

 

――      福岡家が「自然に近い」という理由から、たくさん栽培している甘夏を新たなカタチとして消費者へ届ける為に柑橘の果実酒が出来ないか!?という構想が生まれました。そんな時、自然派ワインに精通されている大岡さんなら実現出来るかもと思いプロジェクトが始動しました。まだ世界でも誰も実証したことがない「柑橘×醸造」と向き合うことについて、最初はどう思われましたか?

 

大岡         最初はすごく光栄だなと思いました。しかし、プレッシャーもすごくありました。果たして経験の無いことが出来るのかと。福岡さんからのお話でなかったら間違いなくお断りしていたと思います。しかし、私にも何かできるのかなと思い醸造させていただきました。もちろん、まだ始めて数年ですので分からないところはあります。今まで柑橘とブドウは別物と考えて醸造していましたが、去年から少しやり方を変えてブドウと同じように扱うようになってからは、うまくいっているように感じています。私はワインを作るときブドウを丸々全部使うのですが、普通のつくり手だと、中の果梗という茎の部分を外したりもします。それに倣ってはじめは甘夏の中だけを使って醸造していたのですが、全部使うようになってからうまくいきだしたので、やはり自分の中で分けて考えていたのだと、果実全体を見ていなかったのだと感じました。福岡さんの作られている柑橘は皮も含めた全体でバランスを取っているので、それを全部使ったほうが良いということがちょっとずつ見えてきた気がします。それが正解なのか分からないですが、今はそのように感じています。

 

対談│大岡弘武×福岡大樹 自然のままに

 

――      福岡さん、「甘夏の果実酒」を最初飲まれた時どう思われましたか?
普段お酒を飲まないですもんね。

 

福岡         お酒は普段全く飲まないので、やはり好奇心といいますか、お酒に対する興味みたいなものはすごくありました。発酵とか醸していくものって、農業自体とも密接に繋がると思います。そのため、どちらかというとお酒というより、鍵になるなと。好奇心はすごく強く、またそれを大岡さんのような方がトライしてくれるということを聞いてとても嬉しかったですし、どんなものができるのか全く想像できなかったのでとても楽しみでした。そして、1年、2年、3年と重ねていくにつれ、徐々に変化し、こんなに違うものになるのかと。同じ果実を使いながらもね。この先またさらにいろいろな変化もあったりして。一つの食べ物に人の手を人為的に加えることによって、微生物との関係性や、栄養素としてまた変化があって。様々な相乗効果が生まれてくることに興味があり、ある意味理想的な絵空事のようなことがリアリティを持って動き出したということが面白く、嬉しかったですね。

 

大岡         私も作っていますと、自分では分からないまま動いているものが、少しずつ動いて。やはりエネルギーが強いなということはすごく感じますね。何をそう感じているかというと言葉で表すことは難しいのですが。でもやはり力強さがある気がしますね。

 

――      福岡家の甘夏の酵母でパンを焼いたら、酵母が強くて全然違う!と聞いたことがあるのですが、どう思われますか?

 

大岡         恐らくこの土にある酵母が上がってくるからなのでしょう、全然違うと思います。それが確実に個性になり、味になっているのだろうという気はしていますね。

「柑橘の果実酒」に関しては、新しく生まれた赤ちゃんのようなものですので、出来た瞬間に立ち会える人って少ないと思いますし、みんなで育て上げていくということが、非常に貴重な作業だと思うのです。私もどの方向に持っていくのかもよくわからないまま、いろんな意見を聞きながら、みんなで作っていくという感じなので。関わってくださる方は、今が一番楽しい時なのかと思いますね。

 

――      大樹さんはどう思われます?

 

福岡         似たような感じになるのですが、原料を作って、それをお酒にして、またそれを販売して、飲む人がいて、初めて全体として完成される。その一つでも欠けると生み出されることはなくなってしまう。飲む人が蚊帳の外にならずに、4者で育て上げるということが出来たら嬉しいし、幸せなことだと思います。ここでは見えないもう1人の人も、同じ目線で一緒に過程を楽しんでいただけたら嬉しいですよね。毎年飲み続けることによって、10年後どうのように変化していくのかも楽しみです。時には、今年のこれはちょっとやばいんじゃないか? みたいな意見もあるかもしれないですね。そういういろいろな要素が加わって出来上がっていく大岡さんの醸造が、答えは出ないかもしれなくても、10年、20年、30年と重ねていった頃には、ある種の傾向のようなものが分かり、「ああ、なるほど!」これが大岡さんのイメージしたものかと笑みを浮かべることになるかもしれません。

 

大岡         体系が出来上がったときに真ん中にいる自信は全く無くて…。「あの人がやっていたことはこんなに端っこのところだったのか!」みたいに20年後くらいにはなるのかもという感じもしています(笑)。もっとプレーヤーが増えてくれば少しは分かるのですが。

 

――      大岡さんが以前お話しされていたように、ブドウと柑橘では収穫時期が違うため、今のこのロールモデルが少しずつ派生し、他の醸造家さんも柑橘の果実酒が作れるようになれば、生産者や醸造家の両者にとって大きな生活の支えになりますね。

 

大岡         あいつのブドウのワインはおいしくないけれど、柑橘の果実酒はすごくいいよね。みたいな、そういう作り手が出てくるかもしれないですよね。もう特化していく人が出てくるんじゃないかな(笑)。

 

福岡         暇な時期なのでワインつくりました!くらいの人がね(笑)。

 

大岡         そんな感じの人が出てきたら、10年、20年後なんてどう変わるのか分からないですよね。でもポテンシャルは本当にすごいと思います。自然に作ることと味を安定させることの両立はとても難しいですが、そのうち「この辺にしておくと味に収まりが出る」みたいなことが分かってくると思います。もちろん、何かを加えるとかは一切なく、基本は変えず対応することで、分かりはじめつつもあるので。

 

――      世界でも自然派ワインのシェアが増えてきていると言われていますが、今はどれぐらいだと思いますか?

 

大岡         恐らくまだ5パーセント以下かと思います。

 

――      日本だともっと少ないでしょうか?

 

大岡         日本は割合的にはもう少し多いと思います。

 

――      20年前に自然派ワインを始められた頃は、消費者は殆どいなかったということでしょうか?

 

大岡         そうですね。一部の本当のマニアのマニアの人達だけだったと思います。

 

――      今でも自然派ワインに決まった基準がある訳でもなく、結構いろいろなパターンがあると思うのですがどう思われますか?

 

大岡         フランスでは2年前にやっと一つの基準が出来ました。自然という言葉はとても難しく、それ以前では、自然でないものも自然とラベルに書けていたのですが、「自然と書くのだったらこれをしないといけない」という表示義務のルール内容がようやくリスト化されました。

 

――      自然農法も定義がないため、発信する人によって違いがありますか。

 

福岡         違いますね。自分が直系の活動をやりつつも、正信の本に書いてある通りのことをする訳ではなく、色々と試行錯誤をしながらしています。でも自然農法には、これをすれば自然農法、これをしなければ自然農法みたいなことはなく、目的地の方向性を色々と取りながら、自然農法以外の人も最終的には同じところを目指すことになってくると思います。目指している頂点を共通して思えるのなら、みんな自然農法でいいんじゃないかなと。そういうカテゴリと思っていますね。有機JASとか、明確に区分けすることがすごく難しいのが農業だと。私としては、自然に近いと思って考えながら作る人は自然農法でいいのではないかなと思います。

 

対談│大岡弘武×福岡大樹 自然のままに

 

大岡         結局線引きをするとまたそこで問題が起きたり、本質的ではないところでもずっと発生したりもしますよね。だからこれをしてないから駄目という、また否定に入りますものね。

 

福岡         そうなんですよね。

 

――      昔、福岡正信さんが本を手にしている方に、「本を横に置いて、まずは机上の空論ではなく自然に向き合え」とお話しされたと聞いたことがありますが事実でしょうか?

 

福岡         そうですね。理屈で身につけていくということは、やはりうわべな感じがします。そうではなく感性的な部分を受取り、それを積み重ねていくというところがポイントになってくると。自分が理屈を上手に説明出来ないかもしれないですが、「御託はいいから、このほうがいいやろう!」みたいに、このほうが元気そうに見えるし、実際元気にもなるよ。みたいに感覚だけでもやっていけるような気もしますね。そこの力をつけて欲しいなと思いながら、自分も伸ばしたいなと本当に思いますね。まだまだ、まだまだ弱いなと。もっともっと掴んでいけるものがあるんじゃないかなと。でも、なかなか届かないところがあって。

 

――      いきなり農業といっても、そういう体験をするとか、触れる機会、観察をすることを少しずつ日常生活に取り入れていくことは大切かもしれませんね。

 

福岡         そうですね。そういう視点を持つ癖みたいなのもついていくでしょうし。きっかけとして、普段の生活の中にも、そういう似たような要素があって、そこから学べるが色々あると思いますね。

 

――      それに触れたことがない人は、まずプランターやそれに近いものから始めるのが一番?

 

福岡         種撒いてしまえばある程度動き出します。そこから、ギリシャのパノス氏が種を撒き続けた人生。彼が最後に言ったことは、「僕は“心の種まき”をした。たくさんの人の心の中に撒いていくことをすごく考えて撒いた。」一つ象徴的に。自然に人の手が加わりつつ、そこでまた自然を形成しようと動き出す。撒いてしまえば、雨が降れば、芽が出る。枯れてもまた種を撒いて。そしたら、そのうち、撒くタイミングを変えてみたり。いろいろ手を加えて一生懸命育てても、毎年種を撒いたら、そのうち、あぁ、これはしなくても良かったんじゃないかなとかね。またプランターの土自体も変化してくるだろうし。そういうことを生活に、遊びくらいの感覚で取り入れていけばいいんじゃないかなと思いますね。

 

大岡         やはり毎日変化していることは、普通に暮らしていると気付かないですもんね。

 

――      ちょっと話は変わりますが、大岡さんは福岡正信さんのことを知ったのはどのステージですか?

 

大岡         たしかあれは98、9、2000年、いや1999年くらいだったかな。京都のレストランで本を勧められたことがきっかけだったかな。

 

――      そのお店の方が元々自然農法に興味あって、料理にも取入れられていたのですね

 

大岡         そうですね。そのときに、もちろんすぐ取り寄せて読んで。
ものすごく衝撃を受けましたね。

 

――      それはフランスにおられる時でしょうか?

 

大岡         はい。日本語で読んだのですが、理路整然として、非常にわかりやすくて。私の専門はブドウですので、ブドウにどう変換させるかを試行錯誤しながらやってみようと。私はワインが好きでフランスへ勉強をしに行ったので、どちらかというと醸造の方が専門でした。栽培の方はその後からついてきたという感じです。学校でも勉強はありましたが、最初に収穫するときも植物のことは全く分からなかったですし、(正信さんの)本を読んでから自然農法を用いた栽培の世界に入っていきましたね。

 

――      フランスのボルドー大学も醸造がメインでしたか?

 

大岡         醸造学部だったので、メインは醸造でした。栽培の方も少しはあったのですが、本当に少し。しかし、今では両方学びます。当時の有機授業は現在の2パーセントぐらい。教科書に少しだけ書いてあるだけでした。学校では様々なことを教わりましたが、なかでも最新の化学農薬については、どう作用するのかをたくさん学びました。しかし、その作用が原因で病気としての耐性菌が出てきた時には、この農薬の上限は年3回まで。など、様々なプログラムを立てていくようなこともしていました。たとえば有機となると昔からボルドー液以外は使わないのですが、20ミリの雨が降れば効果がなくなると、学校で教わりました。なぜこんなに新しくて効果もある農薬が開発されているのにもかかわらず使わないのだろうかと疑問ではありました。やはり業界が大きいから、20年前はそういうスタンスだったのかなと今は思いますね。

 

――      大学での最初の本心をお伺いします。醸造をメインに勉強している中で、実践と栽培も勉強していくことについてはすごく大変でしたか?

 

大岡         醸造学部は普通に醸造法を学ぶだけで、自然派の栽培方法については全く学びませんでした。しかしその後私が好きなワインに出会ってからは、その人たちと話をしていくにつれ、こんな世界があったのだと嬉しさを感じました。そこから全部が繋がっていき、これを作るんだったらブドウはこうしてないといけないよね、土もこうこうしてないと。というふうに興味が深くなっていきました。でもそれが、20年経った現在のフランスでは、ブドウ畑の22パーセントが有機になっています。

ですので、先ほどのSDGsと同じなのですが、方向性は自然に寄り添う。しかし、今の世の中はどうですか?と疑問を感じるところがあります。

 

福岡         弊害が生まれかねないところは本当に強いですね。

 

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福岡         結局のところ、「私が農夫として評価をしていただき、作る工程にルールを決める」ということよりも「この人の作ったものだから食べよう。食べ続けていこう」と選択してもらえることが一番大切だと思いますね。その中で、選んで食べてくださる方々をがっかりさせないよう、私たちも出来るところは最大限努力して、それが難しいところにはご理解していただく。そういう関係性を築くことが出来たら、続けていけることが出来るのだろうなと思います。そして、彼らの生活は私たちが支えてという関係性が築ければ、もうどちらにもウィンウィンな関係が出来ると。どちらかが儲かったとか、どちらかが損したということではなく、みんな等分に利のある話になり得る。そういう人達で繋がっていき、そういう人達で広がっていけたらいいなと。極端に拘った人は極端に拘った農家さんと繋がって一つのグループとして広がっていくだろうし。そこにコストをかけたくない人達はそういう人達と繋がって広がっていく。色々な広がりがありつつそれらが膨らんだり縮んだりしながら、一つの輪の中にぎゅっと全部混ぜ込むということがたとえ無理な話だろうと、そんな繋がりをすごく切望していますよね。またそこの懸け橋となる日本総合園芸の人達がいてくれることもありがたいところです。やはりこういう微妙なところもさらけ出しながらでないと、その人達も(わたしを)信用していいのか、評価していいのか、はたまたマッチしているのか、ということも判断しづらくなるでしょうし。その中で、きっと一定数は繋がることが出来るのではないでしょうか。このことは、なかなか勇気のいることではありますし、否定派があまりにも多いと心折れそうにも思います(苦笑)

 

大岡         家族が支えてくれると、とりあえずは一番、安心ですよね。(笑)

 

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